-
- 教育
「僕のことを話そう」 - 自然
「ムトゥン~今を生きる」 - 日常生活
「世界が終わりを告げる前に」 - スポーツ
「フッチボール・ブラジル」 - 人気俳優
「恋はまぼろし」 - 輸出産品
「パウ・ブラジル~音楽の樹」 - 音楽
「魔法じかけの言葉」 - 若手クリエイター
「名前のない少年、脚のない少女」
“ブラジル映画ってみたことない。” https://www.viagrasansordonnancefr.com/viagra-france/ “どの映画をみたらわからない。”
そんなあなたにぴったりな上映作品をナビします!
興味・関心のあることや気になったキーワードを選んでくださいね。
映画をさらに楽しむための予備知識も紹介します!
あなたにぴったりなブラジル映画を紹介します。
" 教育 が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
僕のことを話そう
プログラム »
O Contador de Histórias
僕のことを話そう
この物語の主人公10人兄弟の末っ子ホベルトは児童施設で暮らしています。字幕では文字数の制約もあり略称のFEBEM(児童福祉財団)を使っています。Fundação (=財団) Estadual (州の) do Bem-Estar (福祉) do Menor(未成年者の)の頭文字でFEBEMとなっています。今でも各州などには同じような施設があるようですが州によって性質が違っているようです。サンパウロでFEBEMといえば、少年院のようなイメージがありますが、この映画のように福祉施設ということもあるようです。この物語の時代設定は1970年代、1970年当時の合計特殊出生率はは5.8人、1960年では6.3人だったので、当時のブラジルでは大家族が普通だったのかもしれません。そして、識字率ですが、1970年の15歳以上の識字率は男性で約70%、女性では約64%でした。ブラジルはサイン社会ですので、文字の書けない人はサインではなく、拇印でサインの代わりをしていました。現在の識字率は約90%、10人に一人が読み書きに不自由なのです。
ブラジルの貧富の差は日本のそれよりもさらに大きなものです。富裕層にとってはプール付きの豪邸や自家用ヘリコプターを所有することなど難しいことではありません。
対して貧困層に目を向けると、家族そろって路上生活といったことも珍しいことではありません。貧困層への施策として、ルラ大統領は2003年から「Bolsa Familia」政策を取っています。子どもがいる貧しい家庭に現金を支給し、受け取った親には子どもを学校に行かせ、適切な医療を受けさせることが義務付けられています。貧富の差の解消に「教育」が欠かせないとメッセージを感じることが出来ます。
" 自然 が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
ムトゥン~今を生きる
プログラム »
Mutum
ムトゥン~今を生きる
この映画はミナス・ジェライス出身のブラジル文学界の巨匠ギマランイス・ホーザの小説『Campo Geral』(1964年発表)が原作です。彼の代表作といえば、『Grande Sertão:Veredas』が挙げられます。『大いなる奥地』として日本語訳も出版されました。原作の雰囲気が映画にはとても反映されています。
そしてこの物語の舞台はミナス州の奥地に広がる“Sertão(セルタォン)”です。セルタォンとは内陸部の干ばつ地域です。内陸で干ばつ地域ということもあり、経済的な発展から取り残されている場所でもあります。しかし、ブラジルを代表する風土として有名な映画の舞台にもなっています。セルタォンでの生活をリアルに描き、世界的な評価が高いネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の『乾いた生活』そして、日本でも公開された『ビハインド・ザ・サン』『私の小さな楽園』などです。
ブラジルは国土面積が日本のおよそ23倍という非常に大きな国です。地域によっては全く違う自然を体感することができます。アマゾンの鬱蒼とした巨木が茂る密林、白い砂と青い海が印象的な海岸地帯、サンパウロやリオからイグアスの滝周辺まで広がるマッタ・アトランチカなどブラジルの自然、世界中から注目されています。映画で見た後、時間とお金の余裕があれば、ぜひ一度ブラジルへ!
アマゾン地域の素晴らしい風景の写真や動画を見るならこちら
" 日常生活 が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
世界が終わりを告げる前に
プログラム »
Antes Que o Mundo Acabe
世界が終わりを告げる前に
この映画はダニエル、ルーカス、ミミの同級生3人の物語です。3人はともに、15歳。ブラジルの義務教育は7歳からの8年間。そのあと、3年間の高校、そして大学や専門学校となります。つまり、15歳は自分の進路を決める歳ということです。女の子にとってはもう一つ意味があります。ブラジルでの誕生日パーティーは大きなイベントです。パーティールームを借りたり、シュハスコパーティーをしたり、家族、親戚そして友達が集まってとても盛大です。なかでも、女の子の15歳の誕生日は、Festa de debutanteと呼ばれ非常に特別です。フォーマルなドレスを着て、ダンスをしたりします。家族や友人に15歳になり、もう大人の仲間入りをしたとのお披露目パーティーのようなものかもしれません。3人が15歳というのに、何か意味がありそうと思うのは考えすぎでしょうか?
また、ポルトガル語を学ばれている方は、この映画の中の話し言葉にも注目してみてください。南部のポルトガル語は、2人称のtuをよく使うことが知られています。そして、R行の発音はリオやサンパウロではハ行の発音になることが多いですが、南部ではラ行で発音されますし、語尾のe音もイではなくエの発音となるようです。数字の7を意味するseteがリオなどでは、セッチと発音しますが、南部ではセッテと発音することもあるようですよ。
" スポーツ が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
フッチボール・ブラジル
プログラム »
Futebol Brasileiro
フッチボール・ブラジル
今年のW杯はベスト8とここ何大会で最低の結果に沈んだサッカーブラジル代表ですが、ブラジルがサッカー大国であることは誰の目にも明らかでしょう。ブラジルのサッカー、W杯での歴史とサンパウロのサッカーチームについて紹介しましょう。
ブラジルは唯一、第1回目のウルグアイ大会から前回の南アフリカ大会まで出場している国です。次回2014年はホスト国ですので、20大会連続で出場することになります。優勝は、58年、62年、70年、94年、02年の5回です。初優勝した58年はペレが17歳で鮮烈なW杯デビュー、ペレを擁したブラジル代表は続く62年も優勝、54年スイス大会はベスト8ながら、70年も優勝しています。94年のアメリカ大会はイタリアとのPK戦の末に勝利、02年は日本で開催された大会でドイツ相手に2-0での優勝でした。また優勝は逃しましたが、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾの黄金カルテットを擁した観客を魅了した82年のブラジル代表の評価は今でも高いです。そして今でも語り継がれているのが1950年のW杯、「マラカナンの悲劇」です。ブラジル大会というホームでのW杯、順調に決勝まで駒を進めたブラジルですが、決勝戦で逆転され優勝を逃しました。
サンパウロではサンパウロFC、コリンチャンス、パルメイラス、サントス、ポルトゥゲーザの5チームが人気も実力もあるビッククラブとされていあます。サンパウロFCは2005年12月に日本で行われたFIFAクラブ世界選手権でリヴァプールを破り世界一に輝いています。
そして映画にもなり、日本で公開もされたので耳馴染みがある言葉かと思いますが、“ジンガ”という単語も押さえておきましょう。ブラジルのサッカーのドリブルやサンバ、そしてカポエイラにも共通するブラジル特有のリズムです。
" 人気俳優 が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
恋はまぼろし
プログラム »
A Mulher Invisível
恋はまぼろし
主演はセルトン・メロ、2008年に上映した『下水って、匂う。』での怪演の記憶がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。俳優としても毎年主演作が公開され、監督デビューもするなどブラジルを代表する俳優も一人です。そして、アマンダを演じているのはルオナ・ピオヴァーニ。彼女も今までのブラジル映画祭の上映作品に出演しています。2006年の『コピー・オペレーター』では主人公と同じ文房具店で働くマリネース、2007年の『ズズ・エンジェル』では主人公ズズの友人エルケを演じています。ペドロの友人カルロス役のヴラジミール・ブリシタは、2007年上映の『タイムマシーンに乗って』にも出演しています。
そしてこの作品にはパウロ・ベッチとフェルナンダ・トッヒス(トーレス)という2人の大物俳優も脇役として出演しています。パウロ・ベッチは2008年の上映作品『カフンドー~ジョアォンの奇跡』の監督として来日しています。ブラジルでは知らない人がいないほどの俳優で、本作ではペドロとカルロスの上司役で出演しています。そして、フェルナンダ・トッヒス(トーレス)。1986年にはカンヌ映画祭で女優賞を受賞、母親のフェルナンダ・モンテネグロも『セントラル・ステーション』でベルリン映画祭の最優秀主演女優賞を獲っていますので、親子でブラジルを代表する女優でもあります。ペドロの隣人ヴィトリアの姉役として出演、この作品の監督クラウジオ・トッヒスとは兄弟です。
" 輸出産品 が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
パウ・ブラジル~音楽の樹
プログラム »
A Árvore da Música
パウ・ブラジル~音楽の樹
ブラジルの歴史は大航海時代から始まります。1500年には貴金属や香辛料などを資源を求めたポルトガル人探検家カブラルが現在のバイーア州、ポルト・セグーロの地を踏みました。
当初は島であると考えられ、「ヴェーリャ・クルス」と呼ばれてました。のちに「サンタ・クルス」アジアのように香辛料を栽培や、金や銀があるかの情報を先住民から得ることも出来ず、しばらくは放置されていたようです。しかし、大西洋側の森林地帯で赤い染料がとれる木が自生していることがわかり、この木を王室の専売品として富を築こうとしました。この木こそが、「パウ・ブラジル」です。「パウ・ブラジル」がとれる国としてブラジルという国名になりました。その後、ブラジルはサトウキビやカカオの栽培の地として大きなプランテーションが作られ、労働力としてアフリカから奴隷が連れて来られました。そして海岸線近くでのプランテーションから内陸へ富や資源を求め、探検隊(バンデイランテス)が組織されます。そして、1698年にミナス・ジェライスで金が発見されると、今までサトウキビやカカオの栽培に借り出されていた奴隷たちは金などの貴金属の採掘のためにミナスへ送られ、首都もバイーアからミナスから金を輸送するのに便利なリオデジャネイロへと移されます。19世紀には奴隷制が廃止されヨーロッパや日本などから移民を受け入れ、当時の輸出品であったコーヒー農園での労働力にしました。現在でもコーヒーやサトウキビの生産は世界のトップクラスです。
" 音楽 が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
魔法じかけの言葉
プログラム »
Palavra (En)cantada
魔法じかけの言葉
日本でも大人気のボサノヴァやショーロ。カフェやレストランでボサノヴァを耳にすることはもう日常茶飯事ですし、レストランで生演奏もしていることも多く見かけます。ポルトガル語を話さない人にとってもきっとポルトガル語の響きが心地よいのではないでしょうか?そんな歌詞の美しさを取り上げたこの作品。ポルトガル語の響きの美しさが際立ちます。登場人物は、シコ・ブアルキ、アドリアーナ・カルカニョット、マリア・ベターニア、レニーニといった大物アーティストたち。音楽に美しさをもたらしているものの一つに「韻」が挙げられます。ボサノヴァ、サンバ、MPBでも少し注意して聴いてみる新たな発見があるかもしれません。「Águas de Março」は一番わかりやすく、かつ誰でも聞いた事があると思います。ぜひ調べてみてください。この映画ではサンバやボサノヴァだけでなく、ラップやファンキと呼ばれる音楽も紹介されています。
ブラジリアンフードと音楽を気軽に楽しむなら、カフェドセントロへ
" 若手クリエイター が知りたい!" そんなあなたにはこの映画!
名前のない少年、
脚のない少女
プログラム »
Os Famosos e os Duendes da Morte
名前のない少年、脚のない少女
まだ20代ながらカンヌ映画祭やベルリン映画祭で作品を発表してブラジル映画界の期待を背負っている監督、エズミール・フィーリョ。「名前のない少年、脚のない少女」の監督です。彼が注目を浴びるきっかけとなったのは、Youtubeで自分の作品を公開したことでした。この作品では ブラジルで知名度のある大女優、マリア・アリシィ・ヴェルゲイロ(Maria Alice Vergueiro)がソファに座って、マリファナ中毒の60歳代の女性を演じています。映像からはまるで彼女自身の告白にも感じられるので、フィクションではないのでは?話題になりました。映画の専門学校も多く、国が映画事業を支援していることもあり現在ブラジルでは年間80本以上もの映画が作られています。
映画と同じように世界中でブラジルのクリエイターが注目を浴びています。奇想天外な椅子のデザインが有名なカンパナ兄弟はラコステなどのブランドともコラボしています。(そのことを紹介しているブログ記事コチラ。)またOs Gemios(オス・ジェミオス)、ポルトガル語で双子の意味の2人はサンパウロの壁にグラフティを描き一気に注目を浴びました。サンパウロ国際映画祭のビジュアルも担当しています。ファッションの世界でもブラジルは、モデルだけでなくデザイナーの活躍も目立ってきています。